川島 神戸は1981年のポートアイランドの街開きから、日本を代表するコンベンション都市として多くの成功を収めてこられたことは周知のとおりです。そして2013年に観光庁からグローバルMICE戦略都市に指定された神戸では、今年はG7神戸保健大臣会合が開催され、2019年に国際義肢装具協会世界大会、国際リハビリテーション医学会などの大型国際会議の誘致に成功するなど数々の実績も挙げられています。
これらの国際会議の舞台となる神戸コンベンションセンターは、創設以来、神戸国際観光コンベンション協会が管理運営を担ってこられましたが、2010年より日本コンベンションサービスとタッグを組まれました。そして今回、2016年4月から神戸ポートピアホテルがコンソーシアムに参画され、新たな指定管理者としての取り組みがスタートされるとうかがっています。本日はグローバルMICE戦略都市の中核施設であるこの神戸コンベンションセンターの指定管理者として、都市戦略の推進を担う皆さんにお集まりいただきました。神戸市がなぜ街づくりの中核としてコンベンションを位置付けたのか、その決断や経緯について。また神戸コンベンションセンターが果たしてきた役割。また新たな指定管理者のコンソーシアムによってコンベンションセンターが、さらには神戸がどのように変わっていくのか。その未来戦略について、お考えをお聞かせいただきたいと思います。
まずは小柴会長から、いち早くコンベンション戦略を掲げられた神戸市の当時の経緯や、その後、コンベンションセンターが果たしてきた役割についてお聞かせいただきたいと思います。
小柴 神戸は山と海に囲まれた非常に美しい都市で、都市発展の観点から山の土で海を埋め立て、人工島を造りました。この人工島の完成を記念して開催されたのが「ポートピア'81博覧会」でした。その後、各地で開催された地方博の先駆けで、1,610万人に来場をいただき大成功をおさめました。当時、私はポートピア博覧会協会に出向し、事務局で経理関係を担っていました。これまでにないこのイベントが、本当にうまくいくのだろうかと、財政計画も第6次までたてました。しかし結果として65億円もの基金を残し、ポートピア81記念財団を設立することができ、この財団が神戸での国際会議をサポートする仕組みを作りました。